福岡生まれ、福岡育ち。

平日は16時まで株式会社Daiでエンジニアとして活動し、以降の時間で自身が代表を務める科学教室の講師としても活躍されている平岡さん。

理知的な印象の平岡さんが、これまでどんな人生を歩み、なぜ科学教室に携わっているのか、深堀っていきます!(ライター:宮原)

「代謝」に興味津津!?独特の雰囲気を醸すエンジニア 平岡孝一

――まずは平岡さんの経歴について教えてください。

出身は福岡県で、小中高と県内で過ごしました。大学は福岡市内の私立大学で栄養学を学びました。この学校は主に管理栄養士の資格を取るための大学です。

――Daiではエンジニアとして活躍されているので、栄養学専攻とは意外です。

子供のころからずっと、食べ物を食べて、それがどう消化されて、体にどんな影響を与えるのかに興味があったんです。

――なるほど、消化や代謝を学問的に学びたかったわけですね。そもそも、代謝に興味を持ったきっかけは何だったのでしょう。

なぜだろう…
でも昔からテレビで代謝が取り上げられることって多いですよね。たとえば、唐辛子を食べるとカプサイシンの影響で汗が出るとか。子供のころから、そういうのがすごくおもしろく感じていたんです。

――たしかに「〇〇を食べると痩せる!」とかテレビでよくやってますよね。てっきり平岡さんは根っからのエンジニアかと思っていました。

いえ、プログラミングなどの工学関係を勉強し始めたのは大学院に入ってからですね。

――大学院では工学系に進まれたんですか?

いえ、大学院も生物系です。先述の大学で栄養学を学ぶなかで、もっと消化や代謝について、化学や物理学・数学などを使い専門的に学んでみたいという気持ちが強くなりました。
そこで次は大阪大学 大学院の生命機能研究科に進学しました。ここではバクテリアの研究をしていました。

――バクテリア…なぜバクテリアを選んだのですか。

「生きている」ということの根本をもっと知りたくなったんです。それで研究対象をいくつか考えたときに、人間の体では複雑すぎるし、昆虫でもまだまだ複雑。もっとシンプルなものを対象にしたいということから、最終的にバクテリアを研究している難波研究室(代表 難波啓一)を選びました。

――バクテリアというのは微生物とは違うんですよね。

微生物のなかでも、人間の細胞のようにDNAを収める核がない単細胞生物のことをバクテリアと呼びます。たとえばお酒を作るのに使う酵母も、見た目はバクテリアとほとんど変わりませんが、DNAを納める核を持っている真核生物であり、バクテリアではないんです。

生物系から科学教室設立まで

大学院での学びでとくに印象に残っていることはありますか?

プログラミングや電子工作を始めたのと、いろいろな学問を横断的に学べたのは大きかったです。僕の場合は、バクテリアがべん毛という尻尾のような器官を回転させて移動する仕組みについて研究していたので、物理的な話も化学的な話も扱えるのはおもしろかったですね。

――プログラミングでバクテリアの動きを計算したりってことですね。そこから興味が出てきて、今もエンジニアの道を進んでいるのですか?

エンジニアの道というよりも、僕の中心は「科学教育」なんです。
大学院に行く人の多くは研究者を目指していて、僕もその1人でした。大学院を出たらポスドク(任期付きの研究職)になって、いずれは助教にでもなれたらいいなって。

でも学問の世界って奥が深くて、とても優秀な研究者であっても、生涯をかけて解明できることってほんの少ししかないんですよね。そう考えると、果たして自分は研究者になっていいのかと疑問に感じ始めたんです。

――世界の謎を解き明かすには、人生は短すぎますもんね。

だったら、僕が大学院で初めてプログラミングや電子工作に触れておもしろさを実感したように、子供たちにもそういうことを教えていけば、将来研究者やエンジニアになりたいと思ってくれるかもしれません。そうやって育てた子供たちが活躍する影響のほうが、僕が研究者になる影響よりも大きいんじゃないかと考えるようになり、科学教育の道に進みました。

――だから今もDaiと並行して科学教室を運営しているんですね。大学院を出てすぐに教室を開いたのですか。

最初は仙台のNPOで3年間、教室の運営に携わりました。期間はとくに決めていなかったんですが、将来的に福岡で同じような教室をやることを見越して、教室運営を学びながら準備を進めていたら、ちょうど3年くらいでその条件が整いました。

――仙台のNPOの名前を教えていただいてもいいですか?

「ナチュラルサイエンス」という名前です。東北大学のキャンパスを使ってイベントをやっていたりもするので、仙台では知名度があると思います。

――そうなんですね。福岡から仙台ってかなり距離がありますが、なぜ仙台の教室を選んだのですか?

科学教育をやりたいといっても、たとえば生物や化学って、試験管などの備品にお金がかかったり、再現性の問題もあって難しいんです。その点、プログラミングや電子工作は因果関係がはっきりしていますし、抵抗器やLEDなどの消耗品も安価。そういう意味で、電子工作やプログラミングをテーマにするのが妥当だと考えました。

まずは近くで教室を探していたんですが、意外と少なくて。知育玩具を作っているメーカーが自社商品のプロモーションのために教育をやっているようなところが多かったんです。

――ロボットを扱う教室とかは町中でよく見かけますよね。

そうですね。でも僕がやりたいのは、生徒に特定のスキルを身に着けてもらうことではなくて、科学の面白さを知ってもらうことなんです。たとえば、ロボットのキットを扱う教室では、キットでできる範囲のことしか学べないですよね。

なので僕は、単にロボットを動かして楽しむことより、同じロボットでも抵抗と電圧・電流の関係から学んで、科学そのものが持っているおもしろさや、キットの枠に囚われない学びが大事だと思うんです。

――そこまで幅広く教える教室って、あんまりイメージがつかないですね。

そうなんですよ。そういった教室はやっぱり少ないので、いろいろ探した末にやっと見つけたのが仙台のNPOの教室だったんです。キットじゃなくて部品から作っているし、C言語という基本的なプログラミング言語を使っているところがよかった。基礎からしっかり教えようという姿勢が素晴らしいと感じました。

――C言語から教えるなんてすごいですね。仙台の教室で過ごした3年間はどんな学びがありましたか?

まったく何の経験もなかったので、学びといえば全てですね。教室運営から子供との接し方、モチベーションの上げ方、下がるタイミングとか。人と接することも子供と接することも慣れていなかったので大変でしたし、そもそも私は生物系出身なのでC言語もゼロからのスタートでした。イチから積み上げなければいけなかったんです。

――教室というとカリキュラムのとおりに進めればいいイメージがあるのですが違いますか?

一応カリキュラムはありますが、やっぱり苦労しましたね。
カリキュラムを自分で作る必要もありましたし、既存のカリキュラムはあくまで最低限度のものなので、たとえば夏休みの短期イベントをやるとなると、そのための新しいカリキュラムを作ったりとか。大変でした。

――その仙台の教室で3年間学んでから福岡に戻り、すぐに教室を開いたんですか?

一応開いたには開いたんですが、受講生はたったの1人だけでした。

――いまは生徒さんは何人くらいいるんですか?

いまは24人います。福岡に戻ってきたころと比べるとだいぶ増えましたね。

――1人から24人ってスゴイ!生徒はどうやって集めたんですか?

やっぱりワークショップを開いて、そこに参加した子供の一部が教室に通いたいと言ってくれるパターンが多かったですね。
1日限りで何かを作るというテーマで電子オルゴールなどの簡単なものを作るといったイベントを、何回も開催していました。

――生徒数が24人だと、平岡さん1人で回すのは大変ではないですか?

いえ、その24人が一度に来るわけではなくて、曜日ごとに分散しているので大丈夫です。土曜日なんかは3コマ開いていて、そこに分かれているので。

――生徒さんは教室で何を作っているんですか?

昨日はラジオを作っている子がいましたね。
アナログでラジオを作ろうとすると、検波したりとか大変なんです。なのでラジオ専用のICをつかって、それにボリュームや周波数を変えるための可変抵抗器を2つ、あとはスピーカー・アンテナ・電池ケースをつなげるとラジオが作れるんです。ほかには、Bluetoothを使ったラジコンとかですね。

――カリキュラムはすべて平岡さんが作られているんですか?

さきほどお話した仙台の教室と「のれん分け」のような関係にあるので、ベースはそこのカリキュラムを使用しています。

株式会社Daiに入社した経緯

――生徒数が24人と順調ななかで、なぜ株式会社Daiに入社されたんですか?

順調とはいっても最初のころは生徒1名でしたから、別の仕事も並行していたんです。たとえば、福岡県内のインキュベーション施設「Fukuoka Growth Next」で、レーザーカッターや3Dプリンターなどのオペレーションをサポートする仕事を2年間やっていました。その後、インキュベーション施設が廃止になってしまってからは、学童保育で科学実験教室の外部講師をしたり、専門学校でPythonの講師をしたりしていました。

そんななか、友人に「こんなシステムを作ってほしい」と頼まれたのをきっかけに、フリーランスのエンジニアとしての仕事も始めていったんです。

――フリーランスとして働くなかでDaiに出会ったと。

そうですね。最初のきっかけは、フリーランスのプラグラマーをマッチングするサービスで、木脇さん(社長)からDMが届いたことです。普段はDMなんて読まないんですが、木脇さんから来たDMには「福岡在住という点に注目しました」と書いてあって、それが気になって読んでみました。

――DMって定型文を機械的に送るイメージがあるのですが、木脇さんはちゃんとプロフィールを見て送られたんですね。

そうみたいですね。そこから木脇さんと何回かやり取りをして。

――どういったお話をされたんですか?

最初は具体的な業務の話はしていなくて、会社についての話しから始まりました。僕が木脇さんのブログなどを読んで興味を示したら、木脇さんから「一緒に働くならフリーランスとしてではなく、社員として入ってほしい」と誘われてビックリしました。

――その流れで入社を了承したと。

そうですね。世の中にはフリーランスでいたい人もいるでしょうが、僕の場合、教室とエンジニアの仕事を両立できれば、フリーランスにこだわる必要もなかったので。「教室の継続を認めてもらう」と「教室のために16時までの勤務にしてもらう」の2点に了承いただき入社を決めました。

加えて、Daiの開発チームの技術スタックも自分にマッチしていると感じました。Bカートの技術基盤となっているLaravel(ララベル)は、自分がフリーランスとして行ったほとんどの仕事で採用されてました。また、Bカートとはまた別のプロジェクトで採用されているプログラミング言語のPython(パイソン)については、大学院時代にべん毛の研究に使っていた馴染みのある言語でもあり、自分の教室の出欠管理システムはPythonで組んでいます。

――Daiに入社されてからの印象はいかがでしたか?

まずは人の多さに驚きました。それまで社内の人は木脇さんぐらいしか話していなかったので、若い人もいれば女性もいる、年配の方もいる、いろんな人がいるんだなと実感しましたね。

――僕も入社当時、同じことを思いました。Daiで働くモチベーションはなんですか?

現在、Daiはマイクロサービスというスキームでアプリを開発しているので、その延長上で本当にいろんなことに挑戦できるなと、楽しみに感じています。

――いろんな言語やアーキテクチャに触れること自体がモチベーションだと。

そうですね。できることが増えるのが楽しい、という感覚です。

――Daiと並行して携わっている教室のほうで、なにか夢や目標はありますか?

教室の目標としては、まず自分が教鞭を執らなくても運営できる状態にすることですね。スタッフを雇ってカリキュラムも一緒に作る体制にしたいですし、実際に指導するのはその方に任せるのが理想です。

――それは体力的な負担を減らすためですか?

いえ。こういうと語弊があるのですが、僕は子供が好きだから科学教育をやっているわけではないんですよね。自分が子供のころに、電子工作やプログラミングのおもしろさを知らなかったから、それを子供たちに知ってほしいというのがモチベーションなんです。

それを伝えられるなら、必ずしも僕が教える必要はないんです。僕が教える限り、僕が空いている時間でしか教えられないし、広がりも持てない。仲間が教えてくれる状態が理想なんです。NPOという法人格で教室を立ち上げているのも、将来的な広がりを見越してです。

――教育ということでいうと、平岡さんはお子さんが生まれたばかりですよね。生活に変化はありましたか?

まだ1歳未満(7ヶ月)とかなので、これからですね。夜泣きで起こされることはありますけど、そのくらいは大丈夫です。

――お子さんが生まれてから、ご自身の心境の変化はありましたか?

あったような気もするし、ないような気もします(笑)
でも子供に関することは、より現実味を持って感じるようにはなったかもしれません。

――具体的にどういうことでしょう。

たとえば、教室に通っている子の保護者の方とかも、今までは単なる「保護者」という認識でしたが、子育て中の親として同じ苦労を味わってる同士の親近感というか。ある種の共通項を持っているという意識にはなりましたね。

――これからお子さんが大きくなっていけば、まだまだ見える世界が変わっていくと思います。今後の平岡さんのご活躍も期待しています!