入社3カ月目になりました、いたるです。今回、石川県能登地方の震災の被害に対する支援として、自主的に3人のメンバーで訪問をしてきたことのレポートをしますが、それぞれに3人のメンバーからお届けするうち、七尾市の担当としてぼくが書きたいと思います。

そもそも、ぼく横田親(よこたいたる)はいま、兵庫県丹波市に住んでいます。その兵庫県に住むぼくが今回の能登地方訪問の機会をつくったわけですが、これは丹波市にゆかりのある友人ふたりが被災したことがきっかけです。震災が起こってすぐ連絡し、その時からずっとその友人たちがとても心配で、彼らに僕なりに何かができないかと思っていて、ようやく3月末で一歩目を踏み出せたということがことの発端となっています。

この活動はあくまでも、個人の自主活動であり、業務外の活動です。しかし会社としては「その活動は非常に大切なことで、しっかりやってきて!」と心から応援してもらいました。本当にありがたいことです。

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さて、24日の夜に金沢市に到着し、友人宅に寝袋を広げさせてもらって、雨風をしのがせていただきました。25日は朝9時には金沢市を出発し、七尾市に向かって動き始めました。

途中、助手席にいたTyson(タイソン)がスマホから毎日行われているアサカイに参加し、能登地域に向かっていることについて報告を行い、アサカイの場で改めてみんなに応援のエールをもらいました。

1時間ほどで七尾市に到着し、丹波市出身でいまは七尾市に移住して家族と共に暮らす「あっちゃん」に会うことが出来ました。あっちゃんとは彼女が高校時代からのご縁で、いつか丹波市に帰ってくるのかと思ったら、七尾市でダンナがみつかって、そこで家族とともに暮らすことになったので、喜ばしいけど、常に丹波の担い手を探す自分としては残念な気持ちすらある、ステキな女の子です。

いつもは元気な彼女も、震災当初はずいぶんと落ち込んでいて、不安いっぱい、落ち着かない気持ちいっぱいで連絡をくれたのをよく覚えています。大好きな七尾市の風景が、震災を境にして一変してしまったことに心を痛め、SNS上でもそのことを言葉にしてくれていたので、ずいぶんとツラい思いをしているだろうなと思っていました。今回久々に会うことが出来て、表情も明るくて声も元気で、お子さんも元気で、とにかくホッとしました。

能登地方のことはメディアではいくらか調べて見聞きしていたものの、正直僕には状況がよくわからなかったです。正しい情報が何なのかを判断することが出来なかったので、とにかくまずは自分の目で見て、耳で聞いて確かめて、そのうえで自分が出来ることは何なのかを確かめたくてやってきました。

あっちゃんからは色々な話を聞きました。3月末時点で、七尾市については電気はほぼ回復をしてきていて、水道はまだいくらかの地域で断水がつづいているということ。1月~2月までは生活のインフラさえまともに整ってきていなかったり、道の状態もあまり良くなかったけれど、インフラの復旧については一定の目途がつく段階まできたのだということが、彼女の話からある程度知ることが出来ました。

お子さんを抱えながら、彼女はぼくたちと一緒に街を回ってくれました。一本杉通り商店街に入るまでの道が破損したり、隆起していて、地震の凄まじさをほんの少し垣間見て、その後その商店街の中に入ったら、二階建てだった建物があたかも一階建てのようにペシャンコになってしまっている姿も見ました。3ヵ月経過しようとしていますが、街はまだ片付けるためのルールがようやく定まった段階で、これからどうやって片付けるのかが決まっていくので、復興計画はもちろんまだまだこれからという状況だと認識しました。

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能登地域の震災では、元旦早々のセンセーショナルな映像が人々の良心に痛みを走らせ、多くの人はボランティアに向かいたいと思い立ち、石川県が用意したボランティア情報サイトへの登録者は3月末時点で3万人以上であると言われています。しかし、現状の活動者数は1%程度に留まっています。


参考記事:

https://www.sankei.com/article/20240324-OCGR2RRHEBF5PHXXOQZCJ33VUU/

「なんでもっとボランティアを受け入れないの??必要じゃないの?」と思ってしまうかも知れませんが、当然ここには構造的な課題があります。それを七尾市でまちづくりに関わる民間企業の(株)御祓川の代表である森山さんとコーディネーターの圓山さんからお話を伺う中で、現地に来る前よりも、ほんの少しだけ理解できたように思います。

■そもそも1月~2月は完全にインフラ復旧期だったこと

災害ボランティアに関わったり、災害地の当事者として過ごした経験のある方はよくわかると思うのですが、大きな災害で道路や、水道・電気などの生活インフラが破壊されてしまったら、まずはその復旧を専門技術者が一気呵成にやってしまわないと最低限の生活手段すら確保することができません。実際、3月末時点でも珠洲市や輪島市では、水道・電気が復旧しておらず、避難所での暮らしを続けざるを得ない人が多くいらっしゃいます。そのため、1月~2月はそもそも個人のボランティアが活躍できる場が非常に少なく、また専門技術者や自衛隊などの復旧作業に従事する人たちの移動経路を阻害してしまうこともあるため、このインフラ復旧時期にボランティアが活躍できることがなかったという、どうしようもない時期であったことが最も根本的な原因としてあります。

■ボランティアがマッチングされる仕組み

しかし3月になり、最低限のインフラが整いつつある中で、いよいよボランティアがマッチングされていく必要が出てきました。全国の想いある方々が現地でボランティア活動に参加されるためには、①助けてほしい人がいる ②助けたい人がいる ③両者がマッチングされてボランティア活動が実現される というシンプルな構造のように思えます。実際、①②が十分に確保され、それぞれを繋ぐ人がいてくれさえすれば、たくさんのボランティアが現地で活躍できるはずです。しかしそれが実現しないから、多くの登録者がまだ現地で活躍できていないというわけです。どうしてこんなことになってしまうのでしょうか。

■地元の人たちが「助けて」と言わない構造

七尾市に限って言えば、能登地方の中でも中能登という地域になり、珠洲市・輪島市・能登町などの奥能登地域に比べると確かに被害はすこし小さいと言えるかもしれません。しかし、実際に街を見渡せばものすごく酷い状況で、少しずつでもボランティアの手が入ることで片付けが進み、街の復興が早まることは間違いありません。それでも、七尾市の人たちの多くが「ここよりも酷い地域があるから、そっちを放っておいて助けてほしいと言えない」と遠慮してしまって、ボランティアを要望しない人が多いというのです。実際は、後日に珠洲市や輪島市にも行きましたが、確かにさらに酷い状況であったと感じました。だからこそ、ボランティアが宿泊できる場所も非常に限られていて、自給自足出来る準備が整った経験豊富なボランティアの方以外は、満足に活動をすることができないような状況であったと個人的には感じます。むしろ、七尾市のような金沢市から近い地域は、移動時間も短いので金沢に拠点があっても無理なく長期的にボランティアが出来そうなイメージが湧きました。そして、これは私見ですが、七尾市が復興していく中で宿泊ができる拠点が再開していけば、さらに奥能登にも多くの支援を届けられるのではないかと感じたりもしました。ですが地元の人たちは遠慮して、「助けて」という意思表示をされないことが多いため、なかなかマッチングする案件として表出してこないという構造があることが分かりました。

■全国の「助けたい」が現地まで辿り着けない構造

一方で全国から続々と増え続けていく「助けたい」という人たちには、現地で活動できない事情があります。それは滞在する先もなく、移動手段もない中で、現地に辿り着くことができない、また長時間をかけて辿り着いても、宿泊や食事の準備のない人たちは金沢あたりの生活の支障のない場所にまで戻ってこないといけません。そのため、せっかく足を運べても長い時間は活動することが出来ず、せっかくの活動時間のうちの大半が移動する時間に充てられてしまうような構造があります。そうした活動が実際に増えてきていて、夕方になると帰り道は渋滞が発生し、これもまた活動時間を減らす一因になってしまっています。この状態では、活動人員を増やせば増やすほど、渋滞がさらにひどくなってしまいかねないため、宿泊場所がない現地での活動人数のうち、車中泊かテント泊などで自分で宿泊することができない人の数を制限せざるを得ない構造があることが分かりました。

■いま必要な人を集めづらい構造

上記のような構造の中で、恐らく必要とされるのは「短期のボランティア」よりも「長期で活動可能な現地スタッフ」であると感じました。そして、現地で活動し「現地のニーズを拾い上げ、マッチングするコーディネーター」が求められていることは明白に思えました。しかし、いま現地で第一線で活動をしている人たちは、地域でも活躍できる力がある人たちばかりで、当然その人たちがヒマをしていられるほど余裕のある状況で全くないことは誰もが理解できることだと思います。新しい長期で活動可能な現地スタッフを集めるにも、その人たちが興味をもって集まってくれるようにするための活動(=母集団の形成)も、その人たちがどのようなスキルを持っていたり、どれくらいの期間活動をできそうなのかや、健康状況、またコミュニケーションスキルなども見極める必要があります。こうしたアセスメントができる体制が整っておらず、このままではいつまでも長期で活躍できる人が集めづらい状況が改善しなさそうな構造であると感じました。

■構造的な課題を解決するために

いろいろな状況を伺う中で、多数の登録ボランティアさんたちが待たされているが構造が理解できたことで、ぼくが今回こうして実際に足を運んだ意味があったと感じました。この構造を解決することで、現地に居る人と、現地には行けない人たちの協力関係が成り立てば、常に現地に行けなくても少しずつ改善していける活動につながりそうだと思ったからです。引き続き自主活動にはなりますが、現地にすぐには行けないけれど、それぞれの暮らす場所から現地の人に役立つ支援が出来る仕組みをつくっていきたいと考え、実際に声をかけて話し合いを始めています。これまで生きてきた繫がりから、僕の周りには面接官の経験がある人が多く、その業務経験から個々の特徴を理解して、文章にまとめる能力を持っています。友人たちと協力しながら、現地に行けなくてもオンラインでの関わりをもって、現地で困っている状況に対してボランティア活動ができることを示し、そこから多くの人が能登地域の復興支援に関わるきっかけを生み出していこうと考えています。時間はかかるかも知れませんが、復興自体が非常に時間のかかることだと考えているので、長い時間をかけて復興していく能登地方のためにも、友人たちのためにも、自分が出来ることから始めていくつもりです。

■七尾市に実際に足を運ぶことを通じて学んだこと

新聞やテレビ、ネットニュースなどで情報を拾うことが出来ても、自分の目で見て確かめてみないと見えてこないものがあります。現地で実際に被災体験をして、そこで生きている人たちが感じているすべてを同じように感じることはできません。それでも、現地の被害の凄まじさも、少しずつ回復に向けて動き出していること、そのために実際に身体を動かして、凄惨な土砂崩れを片付けて人が通れる道路を直したり、災害で破壊された水道や電気を復旧するために活動してくれた人たちのおかげで、確実に現地が復旧に向かって前に進んでいるということも直に感じることが出来ました。

そうした現地の状況も、その状況で地域活動のために動く熱意があって、行動力が伴う人がどれだけいるのかという状態も、その場所に人がある程度の期間を費やしてもらうために何ができるのかを考える機会も、実際に足を運んでこそ得られたものだと思います。少なくとも奥能登(珠洲市、輪島市、能登町等)に比べて七尾市の復旧は進んできていて、だからこそ一般のボランティアが関与する余地がたくさん生まれてきています。今からようやく現地ボランティアに足を運び、一日でも多く、一回でも多く、誰かの役に立つ活動に時間を割いてくれることが現地の復興に貢献できる時期になってきたと感じました。

最後にもしもこのブログを読んで、現地での活動を希望される方は是非とも以下のサイトから能登の仕事に興味をもって飛び込んでみてください。ひとりでも多くの人が能登に足を運んで、現地の人たちの活力につながり、一日でも早く復旧・復興へとつながり、その後に新たなまちづくり・文化づくりへと発展していくことを願っています。

能登で働く – 株式会社御祓川