こんにちは、ハルです。

能登半島地震のボランティアについて私からは珠洲市での活動について書いていきます。

そもそもどうしてボランティアにいくことになったのかの経緯などはこちらの記事をご覧ください。

私たち(ハル、イタル、Tyson(タイソン))の行程としては金沢市→七尾市→珠洲市→輪島市を訪れました。それぞれの市での活動は他のメンバーがまとめているので、そちらも合わせてご覧いただければと思います。

私たちが辿った経路を赤線で示しています。

奥能登へのパイプライン

初めに能登半島地震についてですが、震源地は輪島市門前町剱地沖合付近とされています。ですので、いわゆる奥能登(珠洲市、輪島市、能登町、穴水町)といわれる地域が特に被害の大きかったエリアです。

さらに今回の能登半島地震の被害を大きくさせている理由が、被災地への交通経路として国道249号線が唯一のパイプラインでありながら、その249号線が至る所で寸断されており、支援物資や救助が行き届かないという現状でした。

3月半ばの時点で249号線は復旧しつつあるという情報でしたので、私たちは七尾市から珠洲市への移動はイタルさんの車で向かいました。道中の道路は亀裂はあるもののなんとか通行はできる状態。至る所で工事が行われており、完全に寸断されていたであろう道路を急ピッチで修復していただいたのだということが窺い知れました。

数十メートルに及ぶ、完全に陥没したいくつもの道路を2ヶ月程度で修復してしまう土木工事の技術とスピード感に驚くとともに、復興のために昼夜問わず尽力されていたであろう土木工事関係の方へ尊敬の念を抱かずにはいられない249号線の現状でした。

能登の創造的復興に関する意見交換会

そうして25日の夜に珠洲市に到着した訳ですが、珠洲市でのメインの活動は3月25日行われた「能登の創造的復興に関する意見交換会」に参加することでした。七尾市でまちづくりに関わる株式会社御祓川の代表の森山さんを中心に、珠洲市の有志の方や行政の方が集まり意見交換を行いました。こうした会に行政の方がおられるのは行政としても市民の声を反映したカタチで能登の復興を成し遂げたいという思いからでした。

意見交換会のメインテーマは「能登らしく復興するとは?」。

総勢25名ほどの参加者が5〜6人ずつのチームに分かれて話し合います。私のチームには中学校の先生をされている方や実業家の方など、様々なバックボーンを持った方々がおられる中で、まず初めに各々が思う「能登らしさ」について考えを出し合いました。

いくつもの能登らしさが上がる中で、特に印象的だったのが、「人との繋がり」です。人との繋がりがかなりウェットで濃い。美容室を経営されている方は人との繋がりが濃いから現金に頼る必要がなく、美容室代を物で払ってもらうこともあるのだとか。営利法人のサービス料を物で払ってもらうという発想が私には全くなかったのでとても驚かされました。

詳しく伺う時間がありませんでしたが、そんな能登の「人との繋がり」の中心にあるのはお祭りです。能登地方では秋期間だけでも百数十を超える祭りが催され、各地区で独自のお祭りがあります。祭りを中心に人が集まり、横の人の顔が見え、横の繋がりができていく。

七尾市で出会ったイタルさんのご友人も、祭りの神輿が潰れてしまった現場を案内していただいた際にはとても落胆されていました。

能登キリコ祭りの様子

そうして各テーブルで話し合った後に、各テーブルで出た意見を代表者が共有して「能登らしい創造的復興を考える意見交換会」は終了となりました。

野営

意見交換会後は近くのキャンプ場に移動し、テントを張り、野営の準備。

能登のボランティア活動が難しい理由に、金沢市から珠洲市や輪島市まで移動するのに片道で3時間近くかかるので、日帰りでは中々作業が捗らない現状があります。しかし輪島市や珠洲市には宿泊できるスペースが限られているので宿泊を伴った長期滞在が難しいのです。私たちは数日の現地入りだったため、持参したテント泊でも問題はありませんでしたが、長期滞在でボランティアを行おうとすると中々ハードな部分がありそうです。

アサカイfrom珠洲市

次の日は前日の意見交換会で出会った方のお家にお邪魔し、彼らの事業のことや被災状況についてお話を聞かせていただきました。彼らの事業である珠洲市のコワーキングスペースも被災し、使用できなくなったのですが、すでに新しく金沢市でオープンされ、事業を再開されています。彼らの悔しいという気持ちや目の前の悲惨な現状も見つつも、先を見て行動する熱量に、なにか人や街を動かすエネルギーを感じました。

僕たちは会社をお休みして能登に来ていますが、会社として僕たちの行動を応援してくれていますし、会社には能登の様子が気になっているメンバーがいるので、お邪魔しているお宅からアサカイを繋がせてもらいました。

アサカイにはゲストとしてイタルさんのご友人の荘司さんにご参加いただき、荘司さんから珠洲市で被災された状況や荘司さんが感じておられることをDaiのメンバーに語っていただきました。実際に現地で被災された方の言葉ほど伝わるものはありません。荘司さんありがとうございました。

いろは書店

アサカイ後には荘司さん達に珠洲市の被災状況を案内いただき、いろは書店さんにお邪魔しました。いろは書店さんも被災され、書店は使用できなくなったのですが、ほんの数十メートル離れた場所に仮店舗を3月からオープンされ営業を再開されています。

ユーチューブチャンネル「いろは書店復活プロジェクト」も運営されています。

写真の通り、珠洲市は被害が大きく、いろは書店さんの周りも全壊の建物が多い状況です。個人的に街の本屋さんが好きで、街の本屋さんってなんだかホッとするというか安心する場所だなって思うんですが、仮店舗であっても、いろは書店さんに入るとそんなホッとする感覚を覚えました。それと同時に全壊の建物が並ぶ中で営業を再開されたいろは書店さんの力強さと覚悟から勇気も貰える。いろは書店さんに励まされる方がたくさんいるように思いました。

終わりに

改めてですが、今回の能登入りの目的は直接現地を見て、聞いて、発信するということでした。このブログもその一貫です。また、現地に入ったからこそ分かった復興の課題というのもあります。

復興の課題や今必要としている支援についてはイタルさんが書かれている七尾市のブログに記載があるのでご覧ください。

私自身、ボランティア活動で現地に入るのは初めてのことでした。これまでも東日本大震災に代表されるように日本では様々な震災がありましたが、募金行為しかしたことがなく、なにか自分にやれることがあるのではないかとずっとモヤモヤした気持ちを抱えていました。

能登からの帰り道に別件で立ち寄った長野県でもそんなモヤモヤを抱えた方々に出会いました。支援の方法は募金でも購買でも応援コメントでもなんでも良いと思います。輪島市で出会った方は”俺たちは見捨てられている”と話されている方もいました。

そういった方々と話をすることも一つの支援だと思います。

私も、同僚のイタルさんの行動に便乗させてもらい、飛び込むまではいろんな不安やできない理由を思い浮かべていましたが、飛び込んでしまえば微力ながらなにかしらできることはあります。

もし何かしたいんだけど、どうしたらよいかわからないという方がいれば一緒に一歩を踏み出しましょう。確かなことは動かないよりは動いた方が良い。その一歩が連鎖して自分以外の歯車も動いていきます。

最後に、もうすでに一歩を踏み出す準備ができているという方は以下のサイトから能登復興サポーター登録を覗いてみてください。

能登の1日も早い復興を願っています。

能登で働く – 株式会社御祓川