【能登半島地震】輪島市編:現状と先行きへの不安
珠洲市を出発し、辿り着いた先は輪島市でした。
その中の町野町曽々木に私たちは向かいました。
皆さん、こんにちは。
福井に住むエンジニアのMaxです。
私からは、輪島市の町野町曽々木についてお伝えします。
〜輪島市 – 町野町曽々木、震災後の道筋〜
山間を抜ける道中、周囲を見渡すと地割れや地滑りが痕を残し、倒壊した住宅が並ぶ光景は、言葉に尽くしがたい悲惨さを湛えていました。
町野町曽々木に到着後、私たちは珠洲市の意見交換会を通じて知り合ったNPO法人の代表者に会うために「輪島市ふるさと体験実習館」を訪れました。
お話を通じて、輪島市や町野町曽々木の現状を知ることができました。
その後、彼らの案内で、被害が深刻だった場所を訪れました。
順に紹介をしていければと思います。
土砂に埋もれた約500mのトンネル
必要不可欠な移動経路が遮られ、日々の生活への影響は計り知れません。
不通となった現在、本来は30分程度の所要時間が、交通量によっては2時間近くかかることもあるようです。
地盤の隆起によって干上がった港
最大約4メートルの地盤の隆起が観測されたようです。
生活と産業を支える重要な基盤が失われてしまった一方で、広い範囲で地面が隆起したことで、津波の勢いを和らげた可能性もあるようです。
住宅密集地の倒壊した建物
通常、こういった倒壊した建物の片付けは、まず重機を使った作業になります。
しかし、密集地(左側)では、重機が入りにくい構造になっているため、作業が困難になる可能性があります。
重機での作業が進まないことによって、今後配置されるであろう貴重なボランティアの方々の手も進まないことが予想されます。
ボランティアの方々と現地とをマッチングする人材が不足している現状が深刻であることはもちろんのこと、輪島市曽々木の場合は、こうした問題も抱えています。
輪島市には、私の友人が住んでおり、訪れる前からある程度の現状は把握していましたが、実際に目の当たりにすると、目を覆いたくなるほどの状況でした。
その後、七尾市で友人と合流し、輪島市や町野町曽々木の話を聞きました。
友人は輪島市にて自動車整備士をしており、仕事がない日は炊き出しのボランティア活動をしています。
久しぶりに会った友人の元気そうな姿に笑みが溢れ、自然と明るい雰囲気になりました。
しかし、彼の話を聞いていると、そんな笑みも失われて、輪島市の現状と先行きへの不安が見えてきました。
現状として、石川全体でいえば、少しずつ復興が進んでいますが、町野町曽々木は特に進展が見られない状況だそうです。
そして、地域の子どもたちは曽々木を離れて他の場所に転校し、そこで生活を送っているとのことです。
この事実は悲しく、町野町曽々木の今後の見通しに不安を抱かせます。
彼が私に放った言葉の中で印象的なものがありました。
「もらえることが当たり前になっている。」
「このままだと自立できないんじゃないか。」
今の被災地には全国から多くの支援物資が送られています。
もちろん、それを受け取る人々は喜びますが、人はすぐにそれに慣れてしまいます。
物資を売却する人々も増えているようです。
彼の話を聞いて、私は思いました。
まずは自らが現地を見て、知ることが重要だと。
被災地に行って何ができるのか、事前に計画を練るのも一つですが、ただ困っている人に寄り添いたい、こんな気持ちをもって、ただ行くだけでも、結果として何が本当に必要なのかを知り、それに基づいて行動することができると思います。
これまで私は何かと理由をつけて、被災地を訪れることを避けてきました。
正直に言えば、そこまで関心がなかったのかもしれません。
しかし、今回の訪問で気持ちが変わりました。
現地のために訪れたはずが、結果的に自分自身も成長する経験となりました。
今後も、能登や友人の関わる地域で復興の手伝いを続けていきたいと思います。
長くなりましたが、今回、社内でボランティアに参加しようと声を上げてくれたイタルさん、ハルさん、背中を押してくれた会社に感謝します。
難しいことはないんです。
まずは行動すること。
行動すれば、何かしらの答えや発見が得られるはずです。
復興を願っています。